第Ⅰ章 調査の概要

1.確認調査に至る経緯

小値賀島の北東に突出し、南東側の殿崎半島とともに前方湾を形成する唐見崎半島の沖合から、数点の陶器が引き揚げられたのは1992年の夏のことであった。

小値賀島は1974年には長崎県の年間生産量の9.53%、全国の同1.26%を占めたほど豊富なアワビ資源に恵まれた島であり、伝続的な素潜りによる鮑採浦、即ち海士漁が盛んな土地柄である。換言すれば、小値賀島周辺の海底の大半は海士によって状況が把握されていると言う事である。筆者が陶磁器の大量水没地点があるという情報を得たのも、彼らからであった。内容確認のため同僚の古川学氏を通して、現地である前方郷唐見崎の通称『山見』沖の海底から宮崎俊治氏によってサンプル資料が採取されたのが同年であった。

採取された6点の陶器が16世紀末~17世紀初頭のタイ国ノイ川窯系の陶器であることが判明し(註1)たことによって、本海域の水没陶器が中世末~近世初頭の平戸貿易時代に沈没した国外貿易船積載物の可能性が高いと判断された。

国内でこうした時期の沈没貿易船発見は初めての事であり、遺跡のさらに詳細な情報を得る必要性が生じたが機会を得ぬまま10年の歳月が過ぎてしまった。そうしたおり進行する経済不況対策の一環として事業化された平成13年度「緊急雇用対策事業」に提出した計画が採用され、ようやく内容解明の一歩を踏み出したのが今回の調査である。

「緊急雇用対策事業」は地方自治体が直営せず民間委託が原則である為、本事業は多くの実績を有する九州・沖縄水中考古学協会に委託して実施する事とし、平成13年11月1日付で同会と小値賀町長との間で委託契約を締結し、同月3日から7日にかけて潜水を含む現地調査を実施した。

註1
塚原博1994『五島列島の貿易陶磁器出土遺跡』「長崎県の考古学-中近世特集-」長崎県考古学会

2.確認調査の組織

今回の調査は平成13年11月3日から7日まで九州・沖縄水中考古学協会が小値賀町からの委託調査により、小値賀町教育委員会および小値賀町歴史民俗資料館の協力を得て行った山見沖海底遺跡の確認調査である。調査に参加した協会員は林田憲三(会長)、塚原 博(運営委員)、野上建紀(運営委員)、小川光彦(運営委員)、横田 浩(運営委員)、山本祐司(運営委員)と石本 清(潜水士)、三浦清文(潜水士)である。調査期間中には冷たい雨や季節風が吹き、調査海域も潜水に不適な波浪のある日もあったが、無事に確認調査を終了し、多くの成果をあげることができた。調査海域への調査員の搬送および潜水中の調査海域の安全には警戒船「友弘丸」の魚屋船長に多大の協力をいただいた。また海底より回収した遺物の整理には小値賀町歴史民俗資料館の魚屋優子、馬田幸、北村ニカ、増元美紀および有田町歴史民俗資料館には大変お世話になったことを感謝したい。