水中遺跡・水中考古学の概要

(1)はじめに

外国における水中遺跡調査は、最近ますます活動が盛んになり、それらの活動の結果さまざまな事実が解明されつつある。水中遺跡調査では、海に関わる調査が最も盛んである。第二次世界大戦後、水中遺跡調査の活動が盛んになったのは、水中機器の発達が第一に挙げられる。さらに、1960年代になると地中海を中心に、1)沈没船の発掘調査、2)海岸に臨む水没した都市あるいは洞穴遺跡と、水中考古学が新しい学問専門領域の確立をめざし、学史的にもその存在理由が問われる10年間であった。1970年代はまさに世界各国で水中への学問的関心と共に人類の水への社会的な関心、それはエコロジー的な関心が増大してきたことと関連している。水中考古学はそのような環境の下で大学研究機関の専門学科として確立をめざし、アメリカでは学科の新設の動きがあった。この分野での活動が社会的・学問的に評価された結果、受け入れられたのである。世界各国ではこの分野に関わる研究機関が地域的な枠を越えて国際的研究活動を推進し、水中遺跡調査の学際的協力体制の充実をはかり続けている。1980年代は水中考古学の実践の10年間であったと言える。

今回の報告では1980年代(1980~89)の地球規模で行われている水中調査活動の状況をできるだけ詳細に把握することに努めようとするものである。さらに、この10年間に発掘調査までには至らなかったが、遺構あるいは遺物の存在が考古学的な方法の手続きを採って確認調査が行われ、水中遺跡として正当な評価を受けた「周知の遺跡」として将来条件さえ十分に整えば発掘調査する必要があると評価された遺跡をも含め、発掘調査を行った遺跡の例を網羅し、それぞれの遺跡の発見の経緯、遺跡の地理的位置、調査方法、調査期間中の遺構・遺物の検出状況とそれらの歴史的背景を述べる。この結果遺跡の性格を理解し、これらのデータが今後の日本の水中考古学さらに水中遺跡調査に何らかの方向性を導き出す役目を果たすことができるものと考える。

(2)水中遺跡と考古学

世界の水中遺跡調査件数

日本において水中考古学の定義は、これに関わる研究者間で若干の隔たりがある。水中考古学は学問としての「考古学」の専門領域の一部を構成することに異論はない。しかし外国の状況では「人類学」もしくは「考古学」のどちらかに属しており、今日の陸上の考古学の抱えている間遠がやはりこの領域にもその影を落としている。ジョージ・バスが水中考古学に関連する講座を開設したテキサスA&M大学では人類学科に属している。彼はこの大学に付属の「海事考古学研究所INA(Institute of Nautical Archaeology)」を設置し、これまで古典考古学の分野である地中海地域を、人類学科の中で発掘調査している。この状況はバスが意図した水中遺跡に対しての古典考古学的なアプローチが決してこの大学で解決されてなかったことを示している。バスはペンシルヴァニア大学古典考古学科に講座を設けることをテキサスへ移る前に運動したが、大学はこの事には消極的であった。この出来事の背景を理解するためには、アメリカの考古学の学史的状況を理解せずしては間道の核心には迫れない。「考古学」は古典考古学(Classical Archaeology)と捉えるか、人類学に属する考古学(AnthropologyとしてのPrehistoric Archaeology)と捉えるかで、その目的とするもの、理論に違いがある。人類学のバラダイム(paradigm)を構築するための資料が水中に存在するとして捉えるのか、歴史学の文献記録ではなく考古学的記録としての資料、その資料を水中に求めるのかである。

水中考古学をこの学問分野に冠するのであれば、当然その言葉の翻訳として“水中”は“underwater”である。この言葉が「考古学」に限定した理論的な定義を与えるとすれば、それは調査する対象が異なる特珠環境にあることのみで、学問自体を定義するほどの確固たるものではない。いわゆる“水中環境”なのである。沈没船が海底で発見されたとしても「考古学」の専門の中で発掘調査しなければならない理論的根拠はない。これからの課題は“水中環境”を「考古学」の対象とするための基準を確立する必要がある。現状で唯一の拠り所となっているのは考古学的な発掘の方法だけなのである。

80~89年に調査した水中遺跡の年代区分

世界の水中考古学はその研究の目的が比較的確立している。“underwater”archaeologyもそれに内包され、アメリカのバスに代表される“nautical”archaeologyは、船を専門とする考古学者にその理論が受け入れられている。調査対象は沈没船とその積載品であり、それを解明するための発掘調査方法の確立を目指し発掘調査・研究フイールドとなっているのは地中海である。“maritime”archaeologyはイギリスの故マッケロイに代表され、人類学を専攻する学者に受け入れられている。海上で行われた人間のあらゆる活動を対象とした「人類学としての考古学」的研究全般で、その基本的資料は沈没船である。また沈没船の「考古学」的資料の組合せ(assemblage)を取り出すための発掘技術・方法(methodology)である。沈没船を資料とするこの特徴は“nautical”archaeologyがもつ理論をも含むものといえる。その他“marine”archaeologyがある。これは「考古学」的対象が海だけに限定されるものである。

以上、水中遺跡と考古学について、その概略を述べた。つまり水中考古学は各国で何を調査対象とするのか、また歴史学としての考古学なのか人類学としての考古学なのかで、水中遺跡の評価や定義が異なっている。このような諸外国の状況を把握すると、日本の水中考古学を歴史学としての考古学として扱う学問の立場に立とうとするならば、演繹的な理論構築による調査対象の評価ではなく、調査の対象とした遺跡を帰納的な方法で水中考古学の遺跡として評価することのほうが必要であろう。

(3)水中遺跡の名称と分類

 世界の水中遺跡を1980~89年の10年間に実施した調査で、対象とした遺跡を分類すると、以下のごとく分類できる。この分類にしたがって発掘調査を遺跡ごとに概観する。また各遺跡名称は調査報告に従い、それ以外の遺跡名は本報告に限定して使用することにする。

  1. 沈船(これは船体(Hull)そのもので、考古学的に遺構として捉える。)
  2. 船に関わる遺物(積載品、船からの廃棄品、これらの資料の組合せや遺物の出土状況より沈没船の存在が想定可能な場合も含む。)
  3. 港湾都市とそれにともなう遺構・遺物
  4. 1~3のカテゴリーに含まれない遺構・遺物
  5. その他・不明

(4)水中遺跡調査の地域分類

 世界各国の水中遺跡を以下のごとく地域別にわける。次節ではそれぞれの地域で1980年代(1980年~89年まで)の10年間に発掘調査された水中遺跡を先に述べた遺跡の分類に従って述べることにする。なお、記録・伝承、発見届けのあった事例が「水中遺跡」として研究機関及び考古学者により先に分類した遺跡のカテゴリーにもとづいて確認され、正当な水中遺跡として評価され、将来に発掘調査の必要があるとして認定された「水中遺跡」は、できうる限りこの報告書に載せた。しかしそれらの多くの確認された水中遺跡は、曖昧な遺跡発見地点や漠然とした発見地点の環境しか報告がなされていないことが多い。ある程度の発見地点を既に報告された資料から推定し、この報告書では水中遺跡としてその地点を地図上に落とすことにした。過去において海底あるいは港等が自然環境変化で陸地化した例も、ここでは取り上げた。

水中遺跡調査分布と地域別調査件数分布図

世界水中遺跡の地域分類
A アメリカ大陸地域:
1.北アメリカ大陸地域(アメリカ・カナダ)2.カリブ海地域(カリブ海地域及びバーミューダ島海域)3.南アメリカ大陸地域

B ヨーロッパ地域:
1.北欧地域((1)スウェーデン、(2)デンマーク、(3)ノルウェー) 2.東欧地域 3.西欧地域((1)フランス、(2)ドイツ、(3)オランダ、(4)スイス) 4.イギリス地域((1)イギリス、(2)アイルランド)

C 地中海地域:                           
1.ギリシア・トルコ及び東地中海地域 2.イタリア・フランス及び西地中海地域

D アフリカ地域

E オセアニア地域(オーストラリア・ニュージーランド)

F アジア地域:
1.東南アジア地域((1)タイ、(2)インドネシア、(3)フィリピン、(4)マレーシア)
2.中国地域
3.韓国地域

G その他の地域
なお、1980~89年までの水中遺跡の発掘件数及びこの期間中に調査された年代別の水中遺跡数は第14・15表のとおりである。