赤松海岸遺跡

遺跡名称赤松海岸遺跡
遺跡名称(ふりがな)あかまつかいがんいせき
地方九州・沖縄
都道府県佐賀県
所在地唐津市鎮西町大字石室字赤松1714-1,1716-4,1721,1722-6番地先海面
所在地(ふりがな)からつしちんぜいまちおおあざいしむろあざあかまつ
種類遺物(土器片、石器類ほか)
時代縄文時代
立地海底(0〜1.0m)、海岸
範囲東西150m、南北30m
現状発掘調査実施箇所はコンクリート護岸敷地となり、その沖合いは旧状のまま。
周知の有無
内容

昭和42年に地元中学生が遺物を採集したことをきっかけに、同年7月に地元郷土史会による試掘調査が干潮時陸化地点で実施され、土器2,000点、石器800点が出土している。
昭和62年の海岸線護岸工事に伴い、地元教育委員会が次年度までの2ヶ年で990㎡を発掘調査し、土器片3万8千点、石器類4万8千点にのぼる遺物が出土した。その他、動物骨、貝殻も大量に出土しており、大規模かつ継続的なキャンプの展開を推測させる。

遺物

・土器…前期では轟式系、曽畑式、後期では鐘ヶ崎式系、西平・三万田式系、北久根山式系など
・石器…石鏃、石斧、石匙、スクレイパー、縦長剥片、大型錘状石器など

遺構

なし

文献

・河児哲司「赤松縄文遺跡(A)・(B)・(C)・(D)」(松浦史談会編『末盧国』第25~28号
 1983) 
・鎮西町文化財調査報告書第7集 『赤松海岸遺跡-昭和62・63年度名護屋漁港海岸
 保全施設整備事業に係る発掘調査概要報告書-』鎮西町教育委員会 1989

特記事項

遺跡の範囲は、昭和62・63年調査区よりもさらに沖合いに広がっているものと考えられているが、それでも満潮時-1.0m前後の水深で、遺跡の南半分が干潮時には陸地化(湿地化)するため、調査はこのエリアで低潮時をねらって実施された。

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